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シングルマザーだからこそ、正直に子どもに伝えよう♪ シアワセな母子関係を築くために、隠さずに子どもに話してあげよう♪
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 太陽は5歳、光子は3歳。
 一緒に、七五三だった。


 お金を節約したい私は、友人から男の子の着物と袴、女の子の着物を貸してもらった。

 夕食後に敷いた布団の上で、着せてみる。
 まず、太陽。白い長襦袢(ながじゅばん)を着せる。
 おお、なんだか寝室に向かう若殿のようだ。

 それから、黒い着物を羽織らせる。
 うーん、かっこいい。親馬鹿、丸出しだ。
 そして、スカート状になっている袴(はかま)をはかせ、角帯を結んだ。


 いや~、ここからが大変だった。
 袴の紐(ひも)の結び方が、説明書に書いてあったのだが、きれいに前飾りの十文字結びを結ぶのに時間がかかってしまった。
 
 子どもの着物なんて、浴衣のように簡単なものだと思っていた。ところがどっこい。
 チャックやボタンなどのない着物は、紐や帯で着崩れしないように締める。しかも、見栄えがいいように結ぶ。ここが日本人の美意識だなあと、思う。

 けれども、この見栄えのいい結び方、美意識が難しいのだ。
 だからこそお金を出して、美容院で着付けしてもらったりもするのだろう。
 私は着付けを習ったこともないので、太陽を布団の上に立たせたまま、紐と格闘した。


 袴には、4本の紐がついていた。前の部分の袴についている紐2本を、後ろと前で交差して結ぶ。それから袴の後ろ部分についている後ろ板を、角帯の結びを隠すようにして背中の位置を決める。

 袴の後ろ部分にも、紐が2本ついている。後ろからその2本の紐を前にまわして、先に結んだ袴の前の紐の間にくぐらせてから、十字形の前飾りを作る。

 左からの紐を、10センチの長さにくるくると巻いて、十字形の横の部分を作る。それから右の紐を縦に巻いて、十字に固定するのだ。


 これに私は泣いたのだ。よくわからなくて、汗をかいた。でも何とかして結ばないと、袴の後ろがだらりとたれさがって完成しない。
 いっそ、他の紐で十字形を縛ってしまおうかと思った。糊(のり)ではってしまいたかった。

 なんで紐だけで着物を留めるのか、なんで便利なボタンやチャックを使わないのかと頭にきた。


 光子も自分が着る着物を取り出して待っているので、とりあえず、袴が落ちないように結んだ。そして守り袋と懐剣を袴に差し、白扇を持たせた。ようやく、太陽の着付けが終った。ふう~。

 
 光子の着付けは、簡単だった。
 長襦袢を着せ、赤い着物を羽織る。3歳は帯は締めずに、被布(ひふ)というちゃんちゃんこのようなものを着せるので、太陽のようなときの苦労はなかった。

 巾着(きんちゃく)を持たせ、光子の短い髪に髪飾りをとめた。
 やっぱり、女の子だなあ。赤い着物を着て、光子はうきうきしていた。


 子どもは、3歳までは「神様からの預かり物」と昔は言った。
 仏教的思想では、親より先に亡くなる子は親不孝とみなされて、極楽へは行けなかった。幼児の死亡率が高かった昔は、神様からの預かり物とすれば、幼くして亡くなっても神様にお返しすることになる。
 切ない親心である。

 晴れて無事に3歳を向かえた子どもは、初めて「我が子」となる。
 我が子になると、それまで剃りあげていた髪の毛を、伸ばし始めることができるそうだ。これを「神置き」の儀式としてお祝いしたのが、七五三の始まりという。


 日曜日は、朝食を終えると再びふたりに着付けした。
 今日は仕事が休みの父と一緒に、父方の祖父母に晴れ姿を見せに行くのだ。

 車で到着した元夫は、スーツを着ていた。
 おお、太陽と光子の晴れ姿にふさわしく正装してきてくれたんだな。

 なんとなくいつもとは違うピシッとした雰囲気で、父親と子どもたちは車に乗り込んで、立ち去った。


 今日は日帰りで、父親宅から帰ってきた太陽と光子。

 元夫の話によれば、太陽は祖父母の家に着いたとたん、袴の紐の結び目を解いて脱ぎ出してしまったそうだ。
 あわてて写真を撮るためだけに、無理やり袴をはかせたという。

 一方の光子は、喜んでずっと着物を着ていたという。そうかそうか。


 祖父母から孫へのお小遣いと、七五三のお祝い金をいただいた。
 ありがたく、ふたりの名義で貯金しよう。


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