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赤ちゃんがどこから生まれてきたか、という話になったときだったと思う。
息子と娘に、「あなたたちは、お母さんのおまたから生まれてきたんだよ」と言った。
「おしっことうんちの出る穴があるけど、女の人は、3つの穴があるんだよ。赤ちゃんが出る穴が、あるからね」
と言うと、息子は恥ずかしがって、顔をそむける。
ふとついでに、母方のおばあちゃんは私を、父方のおばあちゃんは父親を、おなかを切って産んだんだよと教えたら、二人は、びっくり仰天していた。
目を丸くして驚いている様子が面白かったので、
「おへその下から、こうやって縦に切ったんだよ。今度お風呂に入ったとき、切った跡が残っているから見てごらん」
と、付け加えた。
神妙に聞いている二人。
それで私は、娘に伝えたかったことを口にした。
「あなたは、おまたからちゃんと赤ちゃんを産むんだよ。おなかを切って、産んじゃあ、駄目だよ」と。
帝王切開にならざるをえないときも、ある。
でも母も、元お姑さんも、計画出産の方がすすんいる、合理的だ、近代的だと思って、自然分娩を選ばなかった。
そしてふたりとも、母乳が出なかったからと、粉ミルクで育てた。
助産院での自然分娩、おっぱい育児。
私は、寂しかった子供時代の恨みから、子供だった私より我が子の方が幸せになるようにと、一生懸命だった。
おっぱいを飲ませるには、必ず抱っこしなければならない。
でも哺乳瓶で飲ませるなら、抱っこしなくてもいい。
我が子と同じ月齢の赤ちゃんたちが、床に寝転がったまま、ひとりで哺乳瓶を持ってミルクを飲んでいる姿を見るのは、悲しかった。
赤ちゃん時代の自分も、こんなふうに、抱っこもしてもらえずにひとりで飲んでいたんだろうと思うと、痛ましかった。
人間の一生の中で、最大の試練は産道を通り過ぎるときだ、と聞いたことがある。
我が子たちには、その最大の試練を受けさせることができて、よかったと思っている。
漫画「どんぐりの家」(山本おさむ著)で、耳が聞こえずしゃべれない恵子ちゃんが、もうすぐ生理をむかえそうだというときに、お母さんが、自分の血のついたナプキンを毎日、恵子ちゃんに見せる場面がある。
そして恵子ちゃんは、そのうちおっぱいがふくらみ、お母さんと同じ体になれると喜ぶ。
私は、母と同じようなおとなの女性には、なりたくなかった。
母が、女性性に悪いイメージを持っていたからだ。
でも私は、恵子ちゃんのお母さんのように、自分の娘に、お母さんと同じになれることを喜べる娘になってほしい。
女性に生まれてきたことを、ただ当たり前として受け取ってもらえるようになってほしい。
男性ではなく、たまたま、女性だったというだけのこととして。
布ナプキンにしてから、夏でも蒸れを感じずに快適に過ごせたことが、驚きだった。
だから息子も娘も、布オムツにこだわった。
紙おむつは、市販のナプキン同様に蒸れて、赤ちゃんだって気持ち悪いはずだと思ったから。
娘は私と同じように、折りたたんだハンドタオルを、パンツの間にはさんで入れて、「今、生理なの」と言う。
でっかいオムツを、しているみたいだ。
そんな娘の姿を、息子と一緒に大笑いする。
こんなふうに、女性性を自然に受け入れられる遊びなら、大歓迎だ。
お母さん方、今日も1日、ご苦労様。
性について、我が子にどのように伝えていこうか、悩んでいるお母さん。
性を語るとは、我が子に自分をさらけ出すことだから、恥ずかしいなと思っているお母さん。
性に対するドキドキ、ワクワクは、いけないものじゃないよね。
友達同士で、性について、話ができますか?
生理になった私。
うちのトイレは汲み取り式なので、赤い血のついたトイレットペーパーが、上から見えることがある。
すると、娘は、「お母さん、”セイリ”なんだね!」と、言ってくる。
夫がいたら、血のついたトレペが見えるのはいやだが、我が子たちには積極的に見せたいと思っている。
私の母は、私が生理になったとき、新しいショーツとナプキンを渡してくれた。
しかし、何も説明がなかった。
ナプキンの当て方は知ってはいたが、「ただ、パンツにはさむだけだよね」と、私は確認した。
母は、うんとうなづくと、また何も言わなかった。
生理の話は、タブーなのだと感じた。
母親しか、家族の中に女性はいなかったのに、母に生理の相談もしちゃいけないのだと思った。
それなのに、その晩、お赤飯が炊かれた。
4歳年下の弟は、意味がわかったかわからないが、父親に、私が生理が始まったことを知られたのはものすごくいやだった。
恥ずかしかった。
母は生理をタブーとするのに、なぜ慣習に従って、お赤飯を炊いて、お披露目をするのだ?
母は、女性性を恥ずべきものとしていた。
そして、娘である私に、何も教えようとしなかった。
私は、自分が女性に生まれたことが、いやでたまらなかった。
初めて生理になってから、20年後。
友人から、布ナプキンについての本を貸してもらって、読んだとき、初めて自分の女性性を受け入れることができた。
タオルで代用もできる布ナプキンは、洗って、血を落としたら、また使うことができる。
たらいに水を張って、血のついたナプキンをつけておけば、いいだけだった。
しかも、血で赤く染まったお水は、植物の根にかけてやるといいと書いてあった。
えっ!?生理って、穢れたものではなかったんだ!!
畑にまいても栄養になるほど、素晴らしいものだったんだ!
価値観が逆転する、驚きだった。
生理は穢れたもの、女性は穢れたもの、という価値観から、けして穢れたものではない、ただ自然なこと、汚くもきれいもなく、ただ当たり前のもの、というイメージにかわった。
そのおかげで、
子どもたちに堂々と女性のシンボルでもある「生理」を話せるようになった。
生理は決して、
穢れたものではないから。